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*活動詳細

ホアンホア県赤十字協会
住所
23 Thanh Khang 1,
Town Tao Xuyen,
Hoang Hoa District,
Thanh Hoa Province,
Vietnam

電話/FAX
+84(37)930039

E-mail
rchoanghoa@yahoo.com

青年海外協力隊参加日記@ベトナムでLinux

2007年3月30日 更新
ベトナム


ベトナム


ベトナム

ベトナム社会主義共和国
Cộng Hoà Xã Hội Chủ Nghĩa Việt Nam
ベトナムの国旗 ベトナムの国章
(国旗) (国章)
国の標語 : Độc lập, tự do, hạnh phúc
(ベトナム語: 独立、自由、幸福)
国歌 : 進軍歌
ベトナムの位置
公用語 ベトナム語
首都 ハノイ
最大の都市 ホーチミンシティー
国家主席 グエン・ミン・チェット
首相 グエン・タン・ズン
面積
- 総計
- 水面積率 世界第65位
329,560km2
1.3%
人口
- 総計(2005年)
- 人口密度 世界第12位
84,238,000人
253人/km2
GDP(自国通貨表示)
- 合計(2005年)
804兆4,344億ドン( ₫ / Đồng ; 銅)
GDP(MER)
- 合計(2005年) 世界第60位
471億ドル
GDP(PPP)
- 合計(2003年)
- 1人当り 世界第38位
2,039億ドル
2,500ドル
独立
- 宣言
- 承認 フランスより
1945年9月2日
1954年
通貨 ドン ( ₫ / Đồng ; 銅)(VND)
時間帯 UTC (+7)(DST: なし)
ccTLD 不明
国際電話番号 84


フエ:ベトナム中部の都市で、19世紀に越南阮朝の都がおかれた。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に「フエの建造物群」として登録されている。
フエ:ベトナム中部の都市で、19世紀に越南阮朝の都がおかれた。ユネスコの世界遺産(文化遺産)に「フエの建造物群」として登録されている。
938年バクダン川の対戦
938年バクダン川の対戦
ベトナム戦争での米軍
ベトナム戦争での米軍

ベトナム社会主義共和国(ベトナムしゃかいしゅぎきょうわこく)、通称ベトナムは、東南アジアのインドシナ半島東岸にある南北に長い国。北を中華人民共和国と、西をラオス、カンボジアと国境を接する。東は、南シナ海に面し、フィリピンと対する。
目次
[非表示]

* 1 国名
* 2 歴史
o 2.1 現代ベトナムの出来事
* 3 政治
* 4 地方行政区画
o 4.1 主な都市
* 5 地理
o 5.1 気候
* 6 経済
* 7 国民
o 7.1 民族構成
o 7.2 言語
o 7.3 宗教
* 8 軍事
* 9 文化
o 9.1 世界遺産
o 9.2 祝祭日
* 10 日本との関係
o 10.1 2世紀頃から8世紀頃まで
o 10.2 11世紀前後
o 10.3 13世紀頃
* 11 関連項目
* 12 参考文献
* 13 外部リンク

国名

正式名称はベトナム語で「Cルng Hoa Xa Hルi Ch・ Ngh)a Viヌt Nam」。略称は「Viヌt Nam」である。

公式の英語表記は「Socialist Republic of Vietnam」、略称は「Vietnam」、または「SRV」。

日本語表記は「ベトナム社会主義共和国」。通称は「ベトナム」、漢字は「越南」(えつなん)である。

ベトナム語による名称「Cルng-hoa Xa-hルi Ch・-ngh)a Viヌt-nam」は「共和社会主義越南」という漢字に対応する。

歴史

詳細はベトナムの歴史を参照

紀元前から北部ベトナムの紅河(ホンハー)流域一帯には東南アジア最古の青銅器文化として知られる東山(ドンソン)文化が広がり、原始的な部族国家群を形成していた。これがいわゆる古越人(後のベト族)である。また中国・紹興一帯を支配した越の末裔が、民族のルーツとの説もある。 秦始皇帝以後、千年にわたって中国王朝の郡県支配を受け、中国文化の影響が深く浸透したが、完全に中国化することはなかった。一方中部ベトナムではオーストロネシア語族系統の古チャム人(後のチャム族)がインド化されたチャンパ王国を形成していた。唐末五代の混乱で中国の支配が後退すると939年に最初の民族王朝呉朝が成立、以後越人の王朝「大越」が続く。大越は南のチャンパと抗争を繰り返したが、チャンパ領は14世紀に越都昇龍(タンロン)を2度攻略した制逢峨(チェーボンガー)の死後内紛で割拠状態に陥り、1471年以降大越黎朝(1428-1788)及びその諸侯である広南阮氏がこれらを各個撃破して南進し、広南阮氏は更に17世紀にカンボジア領であったメコン川流域まで併合して今日のベトナム領土が完成した。

現代ベトナムの出来事

* 1887年 仏領インドシナの成立(フランスによる植民地化)
* 1940年 日本軍の北部仏印進駐
* 1941年 タイ王国とフランスが交戦。日本政府による仲裁。
* 1944年 日仏両軍による戦闘時、仏軍による食糧大量強奪。北部(トンキン)を中心に200万人以上が餓死。
* 1945年3月 保大(バオダイ)帝が日本の援助下で独立を宣言
o 8月 ベトナム独立同盟(ベトミン)がハノイを占拠(ベトナム八月革命)
o 9月 ベトナム民主共和国樹立を宣言、ホー・チ・ミン(胡志明)が初代大統領に就任
* 1946年11月 ハイフォン(海防)でフランス軍と衝突
* 1946年~54年 フランスに対する独立戦争(第一次インドシナ戦争)
* 1949年 フランスはサイゴンにバオダイを復位させ、ベトナム国として独立を認める。中国、ソ連は、ベトナム民主共和国を承認
* 1954年7月 ディエンビエンフー(殿辺府)の戦いでフランスは敗北、ジュネーブ協定を結び、ベトナムから撤退、独立戦争終結。同時に、北緯17度線で国土がベトナム民主共和国(北ベトナム)とベトナム国(南ベトナム)に分断される。10月、南ベトナムではアメリカを後ろ盾にゴ・ジン・ジェム(呉廷0t)が大統領に就任、国名をベトナム共和国にする
* 1960年12月 南ベトナム解放民族戦線結成。
* 1962年2月 アメリカはサイゴンに援助軍司令部を作り、軍事介入、ベトナム戦争(第二次インドシナ戦争)が始まる。
* 1964年 トンキン湾事件。以降、1973年まで米軍が戦争に直接介入。
* 1965年2月 アメリカは北ベトナム爆撃を開始、本格的な戦争に突入
* 1968年1月 南ベトナム全土で解放戦線・北ベトナムのテト攻勢、アメリカは大打撃を受ける
* 1969年1月 南北ベトナム、解放戦線、アメリカの4者によるパリ和平会談が始まる
o 6月 南ベトナムで、解放戦線は南ベトナム共和国革命臨時政府成立。ベトナム共和国と対峙。
* 1972年4月 アメリカ・ニクソン政権は北爆を再開
* 1973年1月 南北ベトナム政府、臨時革命政府、アメリカの4者は、パリ和平協定に調印
* 1975年4月 3月、北ベトナムと解放戦線は春の大攻勢を行い、南ベトナムのズオン・バン・ミン(楊文明)大統領は全面降伏、サイゴンは陥落、ベトナム共和国崩壊。南ベトナム共和国の名の下に北ベトナムが実権を掌握。ベトナム戦争終結。[1][2]
* 1976年4月 南ベトナム消滅による南北統一。初の南北統一選挙を行う。ベトナム民主共和国をベトナム社会主義共和国に改名。
* 1978年12月 カンボジア侵攻を開始。(第三次インドシナ戦争の始まり。)
* 1979年 中国との戦争(中越戦争)、世界各国は援助を停止し、ベトナムは孤立
* 1986年12月 社会主義型市場経済を目指す、ドイモイ(刷新)政策を開始し、改革・開放路線に踏み出す
* 1989年9月 国内経済が疲弊したベトナムは、カンボジアから完全撤兵
* 1992年 越中関係正常化
* 1995年7月 クリントン・アメリカ大統領はベトナムとの外交関係樹立を発表、越米国交正常化
o 7月 東南アジア諸国連合(ASEAN)はベトナムの加盟(7番目の加盟国)を認める
o 10月 所有権や契約の考え方を盛り込んだ、初めての民法ができる
* 1996年1月 ASEAN自由貿易地域(AFTA)に参加する
* 1998年 アジア太平洋経済協力(APEC)加盟
* 2003年 日越投資協定締結
* 2007年1月11日、世界貿易機構(WTO)に正式加盟した。150番目の加盟国となった。

政治

政治はベトナム共産党(ベトナム戦争中は「ベトナム労働党」)による事実上の一党独裁政治が行なわれている。名目的に存在した民主党、社会党は80年代末に解散され、複数政党制から単独政党制に移行した。現在でも、しばしば政治の民主化を望む人々が逮捕されることがある。党書記長(党総秘書)、国家主席、政府首相の3人を中心とした集団指導体制であり、現在の共産党中央執行班書記長はノン・ドゥク・マイン(儂徳孟)、国家元首はグエン・ミン・チェット(阮明哲)であり、政府首相はグエン・タン・ズン(阮晋勇)。

建国以来、一貫して集団指導による国家運営を行っており、故ホー・チ・ミン(胡志明)主席も独裁的な権力を有したことはなく、ベトナム戦争中の一時期には失脚に近い状態にあったとも言われている。

政府の運営は、極めて官僚的であり、中国に類似している。

ベトナムの国会は、2006年6月27日、チャン・ドゥク・ルオン(陳徳良)国家主席の引退に伴い、新国家主席にベトナム共産党のグエン・ミン・チェット政治局員(党ホーチミン市委員会委員長、「城委秘書」)を選出した。また、国会は引退するファン・ヴァン・カイ(潘文凱)首相の後任にグエン・タン・ズン党政治局員を選出した。国会は、28日、新首相の提案に基づき8閣僚の交代人事を承認した。ダオ・ディン・ビン交通運輸相は同省傘下の疑獄事件で指導責任を問われ、事実上更迭された。

国外には旧ベトナム共和国(越南共和、南ベトナム政府、1955-1975)の政府関係者を中心とした反共産党政府組織が幾つか存在しており、特にアメリカを根拠地とする「自由ベトナム政府」は、2000年前後に,ベトナム政府の主張によれば、ベトナム国内外でテロ活動を実施(或いは実施未遂)したと言われている。しかし、これらの反政府組織は今なおベトナム共和国時代の対立を解消できておらず、1960年代に南ベトナムに対し自治を求めて戦った中部高原諸民族及びチャム族の抵抗組織フルロ(FULRO)関係者はこれらの組織とは対立関係にあり、各組織の力を一つに集めることができるリーダーシップを有した指導者が存在しない。また、1975年のベトナム共和国消滅から30年以上経ち、世代ごとの反共主義に対する考え方の違いが鮮明になりつつあることから、最近では必ずしも亡命ベトナム人の間で反政府組織が支持されるとは限らなくなっている。

地方行政区画
ベトナムの地図
ベトナムの地図

詳細はベトナムの地方行政区画を参照

2003年11月の改正により、59省と、5の中央直轄市となった。中央直轄市は、ハノイ(河内)、ホーチミン(胡志明市)、ダナン(沱bp)、ハイフォン(海防)、カントー(芹苴)。

主な都市

* ハノイ(河内)
* ホーチミン(胡志明市)
* ホーチミン市第1郡:旧サイゴン(柴棍、西貢)
* ホーチミン市第5郡:旧チョロン(堤岸)
* ホーチミン市クチ県:クチ(古芝)
* ダナン(沱bp)
* ハイフォン(海防)
* ヴィン(栄市)
* フエ(順化)
* カントー(芹苴)
* ホイアン(會安)
* ニャチャン(芽莊)
* ミトー(美萩)
* タイニン(西寧)
* ヴィンロン(永隆)
* ダラット(多洛)

共産主義

共産主義の歴史

共産主義の種類
マルクス主義 ・ レーニン主義
トロツキー主義 ・ 毛沢東主義
スターリン主義 ・ 鄧小平理論
ユーロコミュニズム

共産党
共産主義インターナショナル
共産主義革命
プロレタリアート独裁
共産貴族

社会主義国
キューバ ・ ラオス
ベトナム ・リビア
中華人民共和国
朝鮮民主主義人民共和国
(沿ドニエストル共和国)

人物
マルクス ・ エンゲルス
レーニン ・ 毛沢東 ・ 鄧小平
スターリン ・ ホーチミン
カイソーン ・ カストロ ・ 金日成
ルカシェンコ ・ イムレ ・ ナセル
ホーネッカー ・ ジフコフ
チトー ・ チャウシェスク
ホッジャ ・ ドプチェク
ゴムウカ ・ ルクセンブルク
ゲバラ ・ リープクネヒト

経済
計画経済 ・ 社会主義市場経済

著作
資本論 ・ 共産党宣言

シンボル
鎌と槌 ・ 赤い星 ・ 赤旗

機関紙
プラウダ ・ 人民日報 ・ 朝鮮労働新聞
・ しんぶん赤旗
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地理

ベトナムの国土は南北1,650km、東西600kmに広がる。インドシナ半島の太平洋岸に平行して南北に伸びるチュオンソン山脈(アンナン山脈)の東側に国土の大半が属するため、東西の幅は最も狭い部分でわずか50kmしかない。細長いS字に似た国土の形状を、ベトナムでは米かごを吊るす天秤棒に例えている。天秤棒の両端には大規模なデルタが広がり、人口の7割が集中する。北のデルタは、紅河(ソンコイ川)によるもので、首都ハノイのほか港湾都市ハイフォンが位置する。南のデルタはメコン川によるもので、最大の都市ホーチミンを擁する。

沿岸の総延長距離は3,260km、北部国境(中国国境)の長さは1,150km、国境の総延長距離は、6,127kmである。

沿岸には北部を除き、島嶼がほとんど存在しない。本土から離れた領土としてホーチミンから約600kmの東、南シナ海に浮かぶチュオンサ群島(スプラトリー諸島、南沙諸島)と、ダナンの約400km東のホアンサ群島(パラセル諸島、西沙諸島)の領有権を主張している。チュオンサ群島は一部を実効支配し、ホアンサ群島は全体が中国の実効支配下にある。

主要な河川は紅河(支流であるカウ川、ロー川、ダーツ川)、ダンホアに河口をもつカー川、中部のバー川、南部のドンナイ川、メコン川である。天然の湖沼はデルタに残る三日月湖がほとんどである。最高峰は北部国境に近いファンシーパン山(3,143m)。アンナン山脈中の最高峰は中部のフエやダナンに近いアトゥアト山(2,500m)である。

気候

ベトナム全土は北回帰線よりも南に位置し、赤道近くまで伸びる(本土の最南端は北緯8度33分)。このため南西モンスーンの影響を強く受ける。7月から11月まで台風の影響を受け、特に国土の中央部が被害を受けやすい。

北部は温帯性の気候であり、4月から10月までが雨期となる。首都ハノイの平均気温は1月が16度、7月が29度である。年平均降水量は1,704mm。チュオンソン山脈の影響により、山岳地帯では降水量が4,000mmを超える場所もある。ケッペンの気候区分では、温帯夏雨気候(Cw)に分類されている。

南部は熱帯性気候下にある(ケッペンによる気候区分はサバナ気候=Aw)。平均気温は1月が18度、7月が33度だが、平均降水量は1,000mmと少ない。 北部には紅河、黒河(ダー川)、南部には九龍江(メコン川)が広がる。

1992年11月初旬、中部域で豪雨により各地の河川が氾濫

死者・行方不明:600名
被災者数:100万人 
倒壊家屋:1万戸 
浸水家屋:47万戸 
被害農地面積:6万ha 
損壊橋梁:1,470カ所 [3]

経済

1986年12月のベトナム共産党第6回大会で、社会主義に市場経済システムを取り入れるというドイモイ政策が採択、中国と同様に改革・開放路線へと転換した。1996年のベトナム共産党第8回大会では、2020年までに工業国入りを目指す「工業化と近代化」を二大戦略とする政治報告を採択した。

政府開発援助と外国投資が経済を牽引している。アジア通貨危機で一時失速した国内総生産(GDP)の成長率も、2001年は6.8%、02年7.0%、03年7.2%、04年7.7%と安定成長が続いている。中国では人件費が上昇基調にあることから、新たな投資先として近年、注目されている。こうしたことからも、WTO加盟が政府にとって重要な目標となっていたが、2007年1月、ようやくWTOに加盟した。

労働人口の66%が第一次産業に従事しているが、近年は第二、第三次産業が急成長。観光業の伸びが特に著しく、重要な外貨獲得源となっている。

主な輸出品目は原油、衣料品、農水産物。特にコメについては、タイに次ぐ世界第二位の輸出国。

国民

民族構成

住民はベト人(越人、京人)が85%から90%、その他にホア族(華人)3%、タイ人(ターイ族、タイー族)、クメール人(クメール族)、ムオン族、メア族、モン族(ミャオ族)、ザオ族、チャム族などの53の少数民族がいる。

言語

言語はベトナム語(越語)が公用語である。その他、華語、クメール語なども使われている。

宗教

宗教は仏教(主に大乗仏教)が大半を占めている。その他、道教、ローマ・カトリックなどがある。また南部にはホアハオ教や、混淆宗教としてのカオダイ教が教勢を保っている。

軍事

ベトナム人民軍は1944年12月22日に建軍された。徴兵制を採用しており、18-27歳の男子に原則として2年の兵役義務がある。主力部隊、地方部隊、民兵の三結合方式による全国民国防体制を採用する。国家国防安全委員会主席は国家主席が兼任し、首相が副主席である。中越戦争時には正規軍だけで170万人の兵力を有していたが、48万4000 人まで削減された。陸軍41万2000人、海軍4万2000人、防空・空軍3万人である。このほか、予備役と民兵が300-400万人。予備役将校の職業はさまざまで、高級官僚や大学教授も少なくない。国防予算は推定約32億米ドルである。

文化

世界遺産

ベトナム国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が3件、自然遺産が2件ある。詳細は、ベトナムの世界遺産を参照。

祝祭日
日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 正月 Tソt Tay
旧暦12月31日~1月3日 旧正月 Tソt Nguyen an
旧暦3月10日 フンヴオン(雄王、紀元前にベトナム北部を初めて統一したとされる王家)を祭る日 2007年は4月26日
4月30日 南部解放記念日 Ngay Gi」i Phong サイゴン陥落(1975年)
5月1日 国際労働日 Ngay Quムc Tソ Lao ルng
9月2日 建国記念日 Quムc Khanh 独立宣言(1945年)

日本との関係

* 西暦734年遣唐使判官・平群広成が帰国の途上、難破して崑崙国に漂流し抑留された。フエ付近に都があったチャンパ王国と考えられる。広成はその後、中国に脱出し、渤海経由で帰国している。753年には遣唐使藤原清河や阿倍仲麻呂が帰国の途上、同じく漂流し、当時中国領だった安南のヴィン付近に漂着した。東シナ海から南シナ海に南下する海流の関係でこのような漂流ルートが存在したようだ。これが縁で阿倍仲麻呂は761年から767年まで鎮南都護・安南節度使としてハノイの安南都護府に在任した。

ホイアンの日本橋。この橋は鎖国前の交易のあった頃に日本人によって作られたと言われ、今でも現地の人に大切に使われている。提灯にフェホォと書いてあるが、これは当時のこの町の呼称である。世界遺産。
ホイアンの日本橋。この橋は鎖国前の交易のあった頃に日本人によって作られたと言われ、今でも現地の人に大切に使われている。提灯にフェホォと書いてあるが、これは当時のこの町の呼称である。世界遺産。

* 14世紀から15世紀にかけて交易国家として栄えた琉球王国はチャンパ王国とも通好があった。17世紀になると朱印船がベトナム方面へ進出し、江戸幕府は北ベトナムの大越黎朝や南ベトナムの広南阮氏政権とも外交文書を交換し、朱印船が出入りした。ホイアン(会安)には日本人町も形成されている。朱印船はまた南遷していたチャンパ(占城)でも唐船(中国船)と出会い貿易を行っている。
* ベトナムの通貨の名称はドンだが、これはベトナムの主要通貨であった銅銭を意味する越語ドンティエンに由来する。日本の銅銭・寛永通宝はその材質の良さから、東アジアの基軸通貨の一つとして流通し、国際取引の決済に使われていた。
* 1940年に日本軍は北部仏印進駐を行い、1941年には南部にも進駐した。フランスのヴィシー政権との外交協議によるものであった。日本軍は戦争中、インドシナ植民地政府と共存していたが、1945年3月にはクーデターによってフランスの植民地政府・軍を取り潰し、ベトナムを名目的に独立(ベトナム帝国)させたが、間もなく敗戦となった。しかし、その結果生じた権力の空白はベトナム独立同盟に有利に作用した。また、戦前・戦中のインドシナ派遣軍の軍規の良さはベトナム国民に好印象を与えた一方で、駐留期間の大半においてフランスの同盟国軍として植民地政府に加担したことは、結局のところ日本もフランスと同類の帝国主義国に過ぎないという印象を与えることになった。* なお、1945年にはベトナム北部で大量の餓死者が発生した。日本の一部のグループはその原因を日本軍による大量の食糧徴発とし、推計200万人に近いベトナム人の餓死者を出したと主張しているが、餓死者数については正確な人口統計がないため明確には把握できていない。ただし、ホー・チ・ミンが独立宣言の中でフランス/日本の二重支配によって200万人が餓死したと演説しており、ベトナム国内ではこの200万人という数字は広く知られている。また食糧不足の原因についても、元来北部紅河デルタ地帯は人口過剰の割に収穫の少ない食糧飢餓地域であり、常に南部メコンデルタ地帯から輸送される米により人口が維持されてきたものが、連合国による爆撃により海上ならびに鉄道による食糧輸送が壊滅状態に陥ったためとも言われている。また、日本への反感を高めるためにフランスがサボタージュしたとも言われているが、日本軍自身も明号作戦の発動など、対フランス関係の整理で手一杯で、ベトナム人の餓死に対して鈍感であったとも言われている。いずれにしろ、この件につき、日本に対しベトナム政府は外交問題として取り上げたことはない。より多くのベトナム人が、その後の対フランス独立運動、抗米戦争で亡くなっているためと考えられている。
* 戦後、フランスが再び進駐してくると、仏軍とベトナム民主共和国軍の間で戦争(第一次インドシナ戦争)が始まったが、仏越両軍に日本軍兵士が多数参加した。当時、ベトナムには766人の日本兵がとどまっており、1954年のジュネーブ協定成立までに47人が戦病死した。なかには、陸軍士官学校を創設して、約200人のベトミン士官を養成した者もおり、1986年には8人の元日本兵がベトナム政府から表彰を受けた。なお、ジュネーブ協定によって150人が日本へ帰国したが、その他はベトナムに留まり続けた模様である。
* 1951年に日本政府はベトナム国(南ベトナム)と平和条約を締結し、1959年には岸信介首相(当時)がベトナム共和国政府と140億4000万円の戦争賠償支払いで合意した。一方、ベトナム民主共和国(北ベトナム)は戦争賠償の請求権を留保したが、1973年に外交関係が樹立するまで日本と北ベトナムは国交のない状況が続いた。
* 近年、日本企業のベトナム進出が相次いでいるが、その要因として中国の半分から3分の1ともいわれる賃金、AFTA(ASEAN自由貿易地域)の推進に伴ってASEAN域内への輸出拡大が見込める点、さらには中国一極集中のリスクの回避などが挙げられる。
* 現在、両国の関係は「緩やかな同盟関係」と評されている。ファン・ヴァン・カイ前首相は親日・知日家で知られており、また、日本政府や経団連も積極的に経済援助を行っている。一方、グエン・タン・ズン新首相は親中派で日本に対する関心が低いと一部報道で伝えられており、今後の両国の関係を懸念する向きもある。
* 日本共産党と全教組は1993年よりフエ市でストリートチルドレンの保育・教育施設「ベトナムの子どもの家」(小山道夫氏、日教組分裂 1991.3.6 以前の都教組委員長 主宰)を運営している。小山氏自身は共産党員であるが、旧社会党系(現民主党及び社民党)の活動家・政治家と親しく、1994.6.30~1997.11.7 の自社連立政権下においてはフエ省知事顧問として複数の日本ODA事業をフエに導入することに成功し、地元の信頼を勝ち得た。小山氏を支援する「ベトナムの子どもの家を支える会」の活動も盛んであり、民主青年同盟(民青)、革新自治体の青年・学生組織及びピースボートと交流を行っている。
* 2007年2月27日にはベトナムを南北に縦貫する高速鉄道の建設に向けて両国間で共同委員会が設けられた。委員会には日本から国際協力機構(JICA)、国際協力銀行(JBIC)、日本貿易振興機構(JETRO)が、ベトナムからは計画投資省、運輸省、ベトナム国鉄が参加した。

2世紀頃から8世紀頃まで

北部-漢、隋、唐 南部-?

11世紀前後

北部-大越国 南部-チャンパー

13世紀頃

北部-元 南部-?

関連項目

* ベトナム関係記事の一覧
* ベトナム料理
* 佐田亜矢(処女作はベトナムが舞台。ベトナムの国民とのふれあいが描かれている)

参考文献

白井洋子著「ベトナム戦争のアメリカ」刀水書房 ISBN 4-88708-352-1

* 月刊オルタ2007年4月号

外部リンク
* 在日ベトナム大使館
* 日本国外務省 ベトナムの情報
* JETROホーチミン事務所

世界の国々 > アジア
東アジア: 日本 | 中華人民共和国 | 中華民国 | モンゴル国 | 大韓民国 | 朝鮮民主主義人民共和国
東南アジア: インドネシア | カンボジア | シンガポール | タイ | 東ティモール | フィリピン | ブルネイ | ベトナム | マレーシア | ミャンマー | ラオス
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ベトナム


役職 氏名
主席 マインさん    
       

2007 著作権は、ホアンホア県赤十字(ベトナム・タインホア省)に帰属します。.無断転載を禁止します。
2007 Hội Chữ Thập Đỏ huyện Hoằng Hóa,Thanh Hóa Việt Nam. all rights reserved.

お便り
  • 明けましておめでとう ございますi!
  • 職員皆健康です!
  • フンさんが産休に入ります。
  • 玉季さん、着任
  • 匡志太りました